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いらっしゃいませ 大久保金物株式会社のサイトへようこそ

 

 

当店は長崎市内において建設業者様向けプロツール、現場消耗品、建築金物等の納品および現場配達から

一般のお客様へのDIY用品小売販売、鍵の製作・修理まで幅広く承っております老舗の金物屋さんでございます。

特にオレンジブック掲載のプロツールから日曜大工用品、厨房機器関連まで幅広い業種の方々のご要望にお答えしております。

 

ゼネコン等の現場監督様の皆様からは、タイトな工期に迫られる中、私どものような小回りの利いた受注・配達・提案が

非常に助かる、といったありがたいお言葉を日頃よく頂戴いたします。私どもが、現場で激務に追われる監督様、設備業者様、職人様の手足となってお役に立てれば、と日々考え業務に励んでおります。

 

同じように、広く一般のお客様方にも私どもの長年の経験から、ただ売るだけではない商品知識、提案、使い方などきめ細やかな対応を心がけております。坂の多い長崎の中心地、斜面にお住まいの特にお年寄りの方々は、例えば郊外のホームセンターに買い物に行くにも一苦労でございます。私どもがそのようなお客様にとっての、「暮らしの便利屋」としての街の金物屋さんであるとお考えいただければ幸いです。

 

当店は長崎の駅前中心地において明治15年(1882年)に創業し、おかげさまで長きに渡りご愛顧をいただいている老舗でございます。

この老舗の信頼こそが私どもの宝であり、その信頼に答えるべく皆様に愛される街の金物屋さんでありたいと考えております。

 

 

 

 

当店の歴史の証人 100年超えていまだ現役ナショナルキャッシュレジスターの紹介

 

 

 

当店の中央に堂々と鎮座いたしますはアメリカのナショナルキャッシュレジスターNational Cash Register(NCR)社製のモデル542

通称500号キャッシュレジスターです。製造は1911年(明治44年)オハイオ州のデイトン工場生まれです。

 

このレジスターは、中国と人や物の往来の盛んであった大正時代に、当時の上海航路によって上海から長崎に個人輸入で入ってきたものです。それを、今は亡き私どもの先代の店主が、お客様の大工さんから借金の形も含めて買い取ったのが昭和の初めの頃だと聞いております。

 

当時の上海は長崎との関係が深く、長崎からは東京に行くよりも近いため(船で一昼夜)大工などの職人も上海まで仕事に赴いていたようです。先代はこのレジスターを当時150円程で買い取ったのだそうです。その頃の150円といえば家が一軒建つほどの価値だったといいます。その時代の当社と、そして長崎という貿易都市のかつての繁栄が伺える気がします。

 

このレジスターはアメリカ仕様のため、表記がドル・セントとなっており、先代はそれをそのまま円・銭に置き換えて使っていたようです。

後に、日中戦争から太平洋戦争にかけて、物資不足を補うため国内では軍部より金属供出の命が下されることになります。

疎開先である郊外の道ノ尾地区へ牛車で運んだというこのレジスターは辛くも供出の運命を逃れ、倉庫の奥に隠されて眠ることになります。結果それにより1945年の長崎原爆投下の被害も受けずに済んだのです。

 

かような運命のレジスターを、先代の亡くなった後の昭和30年代前半に現社長である店主が倉庫から運び出し、また店の顔として復活させたのでした。

 

生産から今年で102年。当社においてもすでに80年以上過ぎた現在でも、変わらず「チ~ン」というベル音を響かせ元気に働いております。さすがに今はもうレシートが出ないのと、相変わらずのドル表記を円に置き換えての使用ですが、合計、部門別集計、客数カウントなどすべて正常に機能しており、電卓と領収証の併用で特に不自由なく使えております。

 

100年もの前のレジスターがいまだに現役ということで、初めてご覧になるお客様は皆様一様に大変驚かれます。

「お宝鑑定団に出さんばね~」とのお客様との会話も弾みます。

どうか皆様も、機会があれば当店の歴史を刻んだキャッシュレジスターをぜひご覧下さい。

 

 

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